やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。8話(前半。続) 考察
やっはろー
今回も
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」8話(前半)
の考察をしていきます。
以下多分にネタバレを含みます。
・おいてけぼっち
水着を持ってきていなかったのは比企谷だけだったみたいです。葉山たちもみんな持ってきていました。比企谷はこの合宿にはほとんど騙されて連れてこられた。その犯人は小町。
だから、小町が比企谷の宿泊の準備をしている。ということは小町が意図的に比企谷の水着を用意しなかったということになるのか? しかしラノベで、比企谷は学校以外で水着を使う機会がないから学校指定のものしかない持ってないということが明かされている。それを考えると・・・・!
学校指定の水着しかもっていないとみんなに思われる兄を不憫に思った、兄思いの小町が気を利かせてわざと水着を入れなかったとか? どうだろう? いや、絶対そうだ! だって小町なんだもの。
水着のない比企谷は必然的に見学しかすることがなく、木陰でのんびり過ごしていると留美がやってきた。なんとも、同じ班の子に置いて行かれたらしい。朝食を食べ終わって部屋に帰ったら誰もいないだなんて陰湿すぎませんか。
にしても、自然学校の時は基本的に班行動なはず。だから、ご飯の時も班のみんなで同じ机に座って食べるだろう。このときの留美の発言から考えると、留美は朝食を食べ終わってから部屋に戻っている。そしたら置いて行かれていることに気づいた。ということは、班でご飯を食べているにもかかわらず留美だけ残して先に帰ったのか? それなら先生気づけよ。
というか、だいたいそういうときって班のみんなで後片付けしてみんなで買えるのが普通なんじゃないか? かたずけが終わって先生チャックが入るのが常。それか留美が、だいたいどこのクラスにも一人くらいいる食べるのがめぇっっっっさスローペースのやつだったのかな。
だいたいクラスに一人くらい食べるの遅い人いる。あと、学校の豚キムチが辛いとかいう人もいる。辛くないでしょ。小学生向けの優しい味だよ? まぁ、味の好みは人それぞれでいい。でも、食べるのが早い人は出世するタイプらしいですね。今度から食事はウィダーにしよう♬
なんにせよ留美を置いていくのは陰湿です。
そんなおいてけぼっち状態の留美と常においてけぼっち状態の比企谷との会話に由比ヶ浜や雪ノ下も加わっているのですが、留美を励ますどころか現状をどう認識するかという方向へ話が進んでいきます。このメンツなら仕方ない。
比企谷と雪ノ下が言うように小学校の同級生とか一人も会ってない。もちろん、小中高ずっと同じだった人はいるけど、今はそういう人たちではなく小学校卒業以降で自発的に会わない人たちのこと。それなりには喋っていはいたけどわざわざ会おうってならないって感じだな。それに小学生の頃の会話って基本的に何言ってるかわからないし。根拠のないことを自信満々に言っていたこととか思い出されて恥ずかしくなるレベル。
そういえば昔、同じクラスで一緒に遊んだりとかもしていた子が親の都合で海外に行くことになって、お別れ会とかもして(その子も入れて3人とかだったような・・・) 別れ際には海外からでも連絡するって言われてたけど一切連絡なかったことを思い出した。
小学生だからメールとかそういう電子系のことはわからない時だったし、でも家の住所はわかるから手紙かな? たぶん親経由でくるんだよね? とか思ってたけど音信不通だった。そんで、中学になってその子が帰国して同じ学校に来た。そして知った。別のことはメールしていたことを。
小学校の友達と会ってないと言う比企谷と雪ノ下に対して
由
「留美ちゃん。この人たちが特殊なだけだからね」
比
「特殊で何が悪い。英語で言えば”スペシャル”だ。なんか優れてるっぽいだろ。」
雪
「日本語の妙よね」
確かにそうだな、妙だ。日本の「出る杭は打たれる」っていう考えが伝わってくる。日本でいう特殊という言葉は「みんなと違う」という意味が込められていると思う。けど、スペシャルは優れているように聞こえる。
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。のスペシャルアニメとかあったら速攻で録画するし何回も見る。常時再生する。運営さんお願いします。でも、やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。特殊版とかだったら・・・見る、やっぱり見るし、録画もする。なんならスペシャルより気になるレベル。
持論を補強するために比企谷はさらに続けます。友達の人数を割合で考えるあたりはさすがボッチといえるでしょう。そのとき、引き合いに出された由比ヶ浜は八方美人と言われて喜んでいましたが、大丈夫ですかこの子。ほんとに受験で総武高入ったんですか?
そんな比企谷に対して由比ヶ浜は「1%なら楽」だと考えています。ポジティブな面がうかがえました。まぁ、アホの子なんだけどね。そこが・・・言わずもがなですね。
一方の留美は板挟み。ハブられている状況に自分は何となく理由をつけて納得しようとしていてもプライドが許さないというところでしょうか。それに、母はやっぱり友達と仲良くしてほしいと考えている。自分がハブられていることを母が知ったら悲しむということも分かっているから、身近な人にも助けをもめられずにいる。
でも留美母はわかっているんじゃないかな? 急に「友達仲良くしてるか」とか「・・・学校楽しい?」とか聞いてくるってことは確信犯でしょう。わかってるんだよきっと。
そんな留美を見かねて比企谷が動き出す。いつもの彼のやり方で。
あきらめてしまった留美に対して
比
(そうか、この子はもう見限ったのだ。自分が変われば世界が変わるというが、そんなことはない。人が他人を評価するのは固定観念と印象だ。ぼっちはぼっちであることを強要される。何かを頑張って目立てば攻撃の材料にされるだけ。それが子どもの王国の腐りきったルール。)
「みじめなのは嫌か」
「・・・うん」
比
「肝試し・・・楽しいといいな」
(問題。世界は変わりません。自分は変えられます。さて、どう変わりますか? 答え、新世界の神になる)
このモノローグは納得です。たぶんというか絶対反対する人もいる。「そんなことはない」「頑張れ」「努力は人を裏切らない」「きっと誰かが見ている」そんな御託を並べその場しのぎを励ましをする他人に出くわす。欲しいのはそんな言葉じゃないのに。
なぜ、「そんなことはない」と否定できるのか? 頑張って何かやって攻撃された上に「頑張れ」と言われもこれ以上何を頑張るのだ? 「きっと誰かが見ている」ってなんでわかるんだ? 少なくともあなたは見ていなかったでしょ? それに“誰か”に見てほしいんじゃない。自分が見てほしい人に見ていてもらいたい。それが子どもの心のうちなのだと思う。
足が速いとかドッチボールがうまいとか勉強ができるとかイケメン、かわいい、おしゃれとか目に見えるものが絶対的な基準になるのが子どもの王国。そこでつまはじきにされると再起不能。それは比企谷が経験から得た教訓。だから留美の気持ちにも共感できるのでしょう。
そして比企谷のモノローグ「新世界の神になる」その新世界の住人は何人いるのかな。比企谷と小町だけだったりして。小町は強制的に勝手に追加されているだけだったりして、比企谷の空想上で。
でも、この考え方は一理あると思う。たぶん世界で偉業を成し遂げた人達は少なくとも似たような思考をしていたのではないかと思う。自分一人の世界に入って自分だけの世界でや一心不乱にしてきたのではないかな。自分は変えられるという意識はあったはず。
なら、その意識のもとで、腕たせ伏せ100回! 上体起こし100回! スクワット100回! ランニング10km ! を毎日欠かさずやればワンパンで・・・。
その前に、
ブログを毎日頑張ります。
適当な宣言をしたところで、
今回はここまで。
さようなら。