やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続 4話(後半。続) 考察
やっはろー
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」2期4話(後半。続)
の考察をしていきます。
以下多分にネタバレを含みます。
フィクサー登場
折本たちが帰った後、残ったのは葉山、比企谷、由比ヶ浜、雪ノ下です。この中で最もハートが強いのが雪ノ下ですね。真っ先に葉山を攻めていました。葉山に対してのあたりが強いところを見ると、まだ、雪ノ下のなかで葉山との過去が消化しきれていないということなのでしょうか。
この段階でも結構こじれているのに陽乃が入ってくるんですよね。そのまま帰ってあげなよ。一部始終を見ていた陽乃は葉山の意図を理解できたようで満足気です。
陽
「雪乃ちゃんが生徒会長をやるんじゃないんだ。てっきりそうすると思ってたのに」
「そうやって誰かに押し付けたりするの、お母さんそっくり。ま、雪乃ちゃんはそれでいいかもね。あなたは、何もやらなくていいんだもの。いつも誰かがやってくれるもんね」
雪
「そう。そういうこと・・・」
最初、この陽乃のセリフが謎だったんですよね。だって、3話で比企谷とカフェにいるときに、「雪ノ下は生徒会長をやらないこと」を確認していますからね。だから、なんでそのことを今知ったみたいな雰囲気出したんだろうと思ってました。
でも、その3話のカフェで比企谷と話していて「雪ノ下が生徒会長をしない」ことを知ったとき、陽乃は「つまらない」と言っていたので、またかき乱すためにこんな小芝居をしたのかなと考えています。でも、それだけだと浅いので他にも意図はありそうですね。
そして、画像の3人の視線にも注目です。由比ヶ浜は陽乃をずっと見ているのですが、陽乃は最初から由比ヶ浜を視界にすら入れていない様子です。眼中にないのですね。確かに、陽乃からすれば由比ヶ浜が最も招かれざる客、というかいてもいなくてもどっちでもいいですからね。
さて、陽乃のセリフについてですが「いつも誰かがやってくれる」の「誰か」とは多くの場合、陽乃のことを指しているのではないでしょうか。
1期の花火大会で陽乃に出会ったときに「顔出しは長女の仕事」という母の方針を語っていましたから、雪ノ下が何もしなくても陽乃がやってきたのでしょう。そして、陽乃だけでもすべて完遂してしまう。
そんな姉の姿を見ていた雪ノ下も自分の存在価値に悩んでいたのと同様に、陽乃も常に家の方針に従わされることで自由がないと感じていたのかもしれません。
このシーンでの最後の雪ノ下のセリフは陽乃の手をはたいた後でしたね。今までは視線と言葉の攻防戦だったので、こういう物理的な接触には少し驚きました。おそらく雪ノ下は今回のことも葉山と陽乃が企てたものだと思っているのではないでしょうか。葉山と陽乃をとらえる雪ノ下の視線がそれを物語っています。
陽乃の挑発の意図が分かりずらかったのですが、比企谷には何か感じ取ることができたようですね。その時の陽乃の言い方がまさに皮肉を込めたものでいい感じです。中原麻衣氏さすがです。
その時の会話、というか一方的な陽乃の言葉からです。
陽
「君は面白いね、いつもそうやって言葉や行動の裏を読もうとする。そういうの、わたし結構好きだよ」
「悪意におびえてるみたいで可愛いもの」
「なんでもそつなくこなす人間なんて、面白みがないじゃない?」
人の言葉や行動の裏を読もうとするっていうとなんだかかっこいい感じに聞こえるんですが、陽乃はそれを「悪意におびえている」と表現しています。
たしかに、比企谷の場合は自己防衛のために裏を読むということをしているのでしょうから「悪意におびえる」という表現はマッチしていますね。
陽乃の最後のセリフは葉山に向けられたものですね。名指しではないとはいえ面と向かって「面白みがない」といわれるのはダメージ大きいでしょうね。まぁ、葉山は陽乃が自分に対してどう思っているかもわかっているんでしょうけどね。
多分、その辺も含めて「そつなくこなせる」から「面白みがない」のでしょう。そう考えると3話で葉山が言っていた「陽乃は興味がない人にな何もしない」っていうのが葉山に当てはまるのでしょうか。それとも「嫌いな人に徹底的につぶす」というほうかもしれませんね。
自己犠牲
陽乃も帰った後、葉山と比企谷だけになります。葉山に座るように視線で促されていますが、頑として座らない比企谷は怒っているようにも見えました。
葉
「・・・ずっと考えていたんだ。俺が壊してしまったものを取り返す方法を」
「俺は君に・・・期待していて、だからわかっていたのに頼ってしまった。そのせいで・・・」
「君は自分の価値を正しく知るべきだ。・・・君だけじゃない、周りも」
「ただそれは難しいことで・・・、もっとうまくやれれば良かったんだけどな。・・・俺ができるのはこれくらいしかなかった」
「・・・君もずっとこんなふうにしてきたんだろう。もう、やめないか。自分を犠牲にするのは」
比
「・・・一緒にするな。犠牲? ふざけんな。当たり前のことなんだよ、俺にとっては。いつも一人だからな。だから、周囲がどうとか関係ねぇんだよ。俺の目の前で起きることはいつだって俺の出来事でしかない。勘違いして割り込んでくんな」
葉
「君が・・・、君が誰かを助けるのは、誰かに助けられたいと願っているからじゃないのか」
比
「違ぇよ。気持ち悪い同情押し付けて勝手に憐れんでんじゃねぇよ」
最初の突っ込みどころは、高校生のする会話かよ! ってことろでしょうか。こんな抽象的な会話を高校生はしないでしょ。それに内容も自分の存在価値とか行動原理とかですから同級生とはかなり差がありそうですね。特に戸部とか。
でも、自身の存在価値とか何事に対しても意味とか考えちゃうあたりは高二病っぽいですけどね。そうなると葉山も高二病ってことになりますね。隠れ高二病です。
さて、葉山のいう「壊してしまったもの」とは奉仕部の3人の関係のことです。つまり修学旅行での偽装告白によって奉仕部が分裂したことを悔いているわけです。
1期の夏休み千葉村でも、葉山は比企谷に問題解決能力があることは認めていました。比企谷が同じ小学校だったら雪ノ下を救えたかもしれないとまで思っているわけです。だから「期待していた」のでしょう。相当、高評価ですね。そうやって比企谷を高く買っているからこそ「価値を正しく知れ」と言っている。
葉山にとって比企谷は自分ができなかったことをできる存在です。葉山の好きな人が雪ノ下なら比企谷への評価はもっと高くなるでしょうね。それと同時に嫉妬という感情もありそうです。
そして比企谷が引っ掛かった葉山の「犠牲」という言葉です。これまでの解決法も比企谷にとっては自分で考えて選んできたものなのでしょうが、葉山には自己犠牲に見えていたようですね。
でも、比企谷は否定しています。「一緒にするな」という言葉聞き覚えがあるな~と思ったら、文化祭で失踪した相模と比企谷との会話の中で相模が苦し紛れに発した言葉でしたね。ということは、今の比企谷も苦し紛れの弁解だったのでしょうか。
その言葉の後にも比企谷は続けますが、「いつもひとり」という考えが変わっていないことがわかりました。むしろ、変わりつつあるけどそんなわけないと戒めるために自分に言い聞かせているようにも聞こえますね。
いつの日か平塚先生に「傷つくのを見て、傷つく誰かがいる」と言われたのを思い出しました。その「誰か」の存在を薄々感じ取ってはいるのでしょうが、いまだ一歩踏み出せずにいるような雰囲気ですね。
葉山とのやり取りを無理やり切り上げて、チャリ置き場まで急ぎます。その時のモノローグも印象的でした。
比
自己犠牲なんて呼ばせない。誰が貴様らのためなんかに犠牲になってやるのもか。言葉にはならずとも俺には確かな信念があった。誰かとたった一つ共有していて。今はもうなくしてしまった信念が。
共有していた相手は雪ノ下ではないでしょうか。というか他に共有できそうな人いましたっけ? 由比ヶ浜も同じ奉仕部ですがスタンスが違うので対象外でしょう。
では、その信念とはというのが問題ですが、なんでしょうね。「言葉にならず」と言っているので比企谷自身も同言葉で表現していいかわかっていないのだと思いますが、こっちとしてはもどかしい。
現時点では共有していた信念をなくしていることと一人に戻ってしまったことくらいですね。それと、比企谷のとってきた行動は犠牲ではなく自身の選択であるということ暗い。もう一つ加えると、比企谷に「犠牲」って言ったら怒るとか。(笑)
この先の展開は重要なので
ふざけないように次回書きましょう。
さようなら