やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続 10話(後半。続) 考察
やっはろー
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」2期10話(後半。続)
の考察をしていきます。
以下多分にネタバレを含みます。
初詣
クリスマス合同イベントから日を挟み初詣の場面です。雪ノ下の誕生日プレゼントをいつ買いに行くか聞く由比ヶ浜にたいして、明日行こうと返答する比企谷。まさかそんな返事が来るとは思っていないので驚いたのか、お団子をいじっています。
これまでなら「そのうち誘ってくれ」とか適当な受け答えになっていたのに明確に日程を指定してくるのにはこっちも驚きですね。
初詣の帰りには比企谷と雪ノ下のシーンがありました。わざと由比ヶ浜のシーンと雪ノ下のシーンを両方とも描いているのかな。
小町の気遣いによって比企谷と雪ノ下だけで帰ることになっていましたね。電車が揺れたときに比企谷の服をつかんでいましたが、まったく安定しませんよ?
いや、安定とかそういう物理的なことが問題ではないのはわかっているんですが、これはもう王手なんじゃないかと思うんですよね。雪ノ下の何とも言えない表情がいい感じです。
電車が揺れた拍子で思い切ってつかんでみたんですかね? つかんでいいかな?変に思われないかな?とか気にしていたんでしょうか。 思い切ってつかんでみたはいいものの恥ずかしくなっているとか? そんなことを感じさせる表情です。
2人が分かれるときは「今年もよろしく」と言って別れていましたね。そのセリフを言う柔らかな雪ノ下の表情が印象的でした。
電車のドアが閉まる直前に言われたことで比企谷は返事できませんでした。これには何か意味があるのでしょうか。何かの伏線になっていたら面白いですね。
メガネ
由比ヶ浜とお買い物に来ている比企谷。最初は小町もいたみたいですが、いつものごとく撒かれたようです。プレゼントを選んでいるさなか、比企谷の名言が炸裂。
比
「眼鏡=頭いいっていう発想がもう相当頭悪いだろ」
足元すくわれた感じですね。たしかにメガネをかけている人はインテリなイメージがある。でも声を大にして言いたいことがある。メガネだから頭よさそうって言ってくるけど、そうでもなかったときガッカリするのやめてね。
いや、そうでもない自分が悪いんだけどさ~でも、ね? 目が悪くなるのは勉強のし過ぎではなく遺伝です。個人的には一種の進化だと思っている。
しっぽがなくなったのと同じように、視力が悪いというのは目の中の筋肉が衰えているということ。パソコンの画面をみることが多い現代において遠くを見る必要がなくなったために、その筋肉が退化している。
これはもう逆説的に言って、現代の文明に合わせた進化といってもいいレベル。
自分で言っててむなしくなってきた。(´;ω;`)
マジカルアイとかしようかな?
比企谷の目に留まっていたのがこちら。これをプレゼントに使用しようと考えているのでしょうかしら?
ボス登場
買い物をしているときに陽乃と葉山にばったり遭遇していましたね。これまためんどくさそうな相手だね。葉山の声は心なしか元気がない様子でしたね。
以前、学校で三浦に予定を聞かれていた時に「空いている」と言わなかったのはこれがあったからなんですね。
喫茶店でお茶していると陽乃の悪ふざけが発動して雪ノ下を呼びつけます。比企谷が電話に出るとすんなり「行く」という雪ノ下もわかりやすいですが、それを見越して電話を渡す陽乃も策士なんですよね。
雪ノ下到着後、ちょっとしたハプニングがありました。あの葉山が雪ノ下のことを「雪乃ちゃん」と呼んでいました。誰もそれには触れていませんでしたが、葉山本人はすぐに言い直していたくらいだから、ヒヤヒヤでしょうね。
みんなで仲良くお話ともいかず、すぐにラスボスのママのん登場。そもそも仲良く談笑なんで期待していないので逆に良かったかもしれませんが、それは比企谷にとってだけで、雪ノ下は相当嫌だった見たいですね。
連れていかれそうになった雪ノ下が比企谷に向ける視線には助けを求めているような印象がありました。
エスパーじゃないんだから視線だけで会話しないでよって願いもむなしく、会話のないやり取りが続きます。
雪ノ下が比企谷に視線を送ったのはママのんの命令に背きたいのでしょうけど、比企谷が葉山に送った視線の意味は?
お前が何とかしろよ的な意味なんでしょうか? 確かに雪ノ下の誕生日会を兼ねた集まりには葉山も参加するので、関係者の立場にある人間が物申すことはできなくもないですね。
その葉山はというとニッコリ笑顔なんですよね。心なしか眉毛が下がっているように見えるのはやっぱり乗り気ではないことを表しているのか。それとも、比企谷の意図を察しながらも自分にはどうすることもできないという無力感の表れなのか。どーっちだ?
抵抗もむなしく陽乃の一言で雪ノ下はママのんに連れていかれることになりました。お姉ちゃん怖いよ。あと、厳しい。
まじめな予告
なんだかんだこれまでも深刻な内容の回はありましたが、予告はふざけていたんですよね。でもここにきてまじめな予告だったので紹介。
予告
これはきっと自分自身の本性なんだ。だから結局、手放すことができずに、ただ封じ込めて、見てみないふりをしてきた。ただ自分は真実によって糾弾されたかった。お為ごかしのお道化を見抜いてほしかったんだ。外からこちらを見る瞳によって。
だから期待していた、もしかすると自分のことを見つけてくれるのではないかと、見抜いてくれるのではないかと。
真実。それが空虚な妄想ではないとどうして言い切れるのだろう。
本物なんてあるのだろうか。
えらく意味深な予告ですね。「真実が空虚の妄想か否か」という言葉を聞くと「真実は人によって変わるが、事実は変わらない」という言葉を思い出しました。
誰の言葉だったかな~? 「99.9」の松潤かな? 誰が言ったのかは忘れちゃったけど、この言葉には納得できましたね。真実には「真【まこと】」っていう字が入っているけど、なにをもって「真」とするかはひとによって異なるんですよね。
数学みたいに決められたルールがあれば「真」の判定も一定になるんでしょうけど、人が主体の場合そうもいかないですよね。「そもそも『真』の判断基準が人によって異なる」っていう認識自体がすでに異なっていそうな気がします。
コナン君に「真実はいつも一つなんだよ」って言われそうだね。(笑)
では、さようなら。