やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続 5話(後半。続) 考察
やっはろー
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」2期5話(後半。続)
の考察をしていきます。
以下多分にネタバレを含みます。
勝手に玉砕(2回目)
生徒会長がいろはに決まって新生徒会の活動が始まっています。手伝いで呼ばれたであろう比企谷はまたもやいろはに振られていました。
1回目
「は? な、なんですか口説いてるんですか、ごめんなさい無理です。好きな人がいるので」
2回目
「なんですかそれ口説いてるんですかごめんなさい狙いすぎだし気持ち悪くて無理です」
完全にネタになっていますね。いろはが一息で一気に言い切るあたりがネタ感を加速させています。(笑)比企谷さん、今後もいっぱい降られてくださいね。
先輩の未来
生徒会室から出ていくめぐり先輩との会話が印象的でしたね。その内容をまとめると、雪ノ下が生徒会長になって由比ヶ浜と比企谷も生徒会役員になることです。そして、その3人がいる生徒会室に遊びに行きたいというものでした。
この発言は比企谷のとった行動とは真逆のものですね。比企谷は奉仕部の存続、つまり雪ノ下と由比ヶ浜の奉仕部残留を目標に掲げていましたが、もし、奉仕部にこだわらずに3人の関係性にこだわっていたらめぐり先輩のいうような可能性も視野に入っていたかもしれません。
奉仕部としての3人が大切なのはわかりますが、根本的なことを見れば3人でいられることのほうが大切なのです。生徒会選挙の一件で小町は奉仕部がなくなることで「3人でいられなくなること」を懸念し、由比ヶ浜は雪ノ下が会長になることで「3人でいられなくなること」を嫌がった。
それに、比企谷も雪ノ下と由比ヶ浜が立候補することで問題は解決しているにもかかわらず、「いままでの3人の関係でいられなくなること」に違和感を覚えたいたわけです。
そう考えると、大切だったのは3人でいることであって奉仕部が存続することではないのですね。
でも、前の比企谷のモノローグにあるように「理由がなければ行動できない人がいる」ということは、奉仕部という部活が3人でいるという理由になっていたのでしょう。
めぐり先輩の発言を受けての比企谷のモノローグです。
比
例えば。
例えばの話である。
例えばもし、ゲームのように一つだけ前のセーブデータに戻って選択肢を選びなおせたとしたら、人生は変わるだろうか。
答えは否である。
めぐり先輩のいうような未来の可能性もあったのでしょうが、何度やり直したところでその選択肢は自分にはないということでしょうね。
”たいあたり”しか技を覚えていなければ、その前のデータに戻っても技は増えない。なんなら減っているまである。だから、自分にはめぐり先輩の言う未来を実現させることはできなかったといいたいのでしょう。
それに、生徒会として3人で活動するということは、今回の問題を「どうやって奉仕部を存続させるか」から「どうやって3人でいられるようにするか」に切り替える必要があります。
比企谷の違和感に対しての選択は、小町の力を借りてまで選んだ「奉仕部の存続」だった。この選択は結果として「3人でいること」につながっている。しかし、最初の選択として「3人でいること」を考えていたら? そうすることで「奉仕部を存続する」か「みんなで生徒会になる」という次の選択肢に勧めたのかもしれません。
ただ、「3人でいられるようにする」とは感情の問題になります。このメンバーといるのが心地いいからとか、安心するとかというものですね。つまり、比企谷には選べないもの。それを裏付けるようなモノローグがありました。
比
理性の化け物とそう言われたことがある。
だが、理性とは感情の対義である。
故に、理性の化け物とは、感情を理解していない、人に劣る存在だと、そう言われたのではなかったか。人を人として見ていない、自らの意識にとらわれ続ける、人未満の存在だと。
まさに、感情に起因する選択肢を選べない根拠ではないでしょうか。
ただ、単純に感情がわからないというより、「感情をもとに判断したくない」や「理性的に判断したい」という感情、あるいは「傷つきたくない」という感情が原因となって自意識過剰となり、相手の感情を推し量れないのではないかと思います。
理性と感情の話をしだすときりがなくなりそうなので、5話の考察はここまでにしておきましょう。しこりのある終わり方が今後の展開にどう影響するのか楽しみです。
それでは、さようなら。