大切なことはすべて「俺ガイル」が教えてくれた。続
やっはろー
前回と同じタイトルでお送りする今回。
俺ガイルから大切なことを学んだといいながら、何を学んだのかをホボ書かずに終わってしまった前回。
だったので、改めてタイトルにあった内容を書いていこうと思います。
さっそく本題に入るとしましょう。
この作品は、言うまでもなく主人公が超ひねくれています。
そのひねくれ具合は共感できる部分も多くあるのです。
しかし、
共感できない人もいるのは事実ですよね。
そういう人たちからは、
「なんでこんなにひねくれているのだろう?」
「人間関係へたくそだなーwww」
みたいな感想が聞こえてきそうなものです。
もちろん、そういう感想があって当然ですし。
そもそもアニメ自体にいいイメージを持っている人ばかりではないことを考えると、なおさら一般的な意見なようにも聞こえてこなくもない。
それに、アニメが好きだからと言って、みんなが「俺ガイル」が好きなんて決してあり得ない。いろんなジャンルが好きだったりするものです。
でもですね~
そこで終わると思考停止というか、面白みも半減するというか、感情移入が中途半端になるというかなんというか。
とりあえず、ここから考えることは、主人公がひねくれていることに対してどうとらえるかということなのです。
少しネタバレも含みますが、
この主人公は過去にいじめられていますし、高校生になった今でもボッチです。
もちろん、この物語が始まってからは脱ボッチまっしぐらですが、思考や習慣はボッチのそれです。
少なくとも小学生から高校1年生まではボッチだったのです。
そして、そういった過去があるから、今の性格になっているのです。
ここが、ポイントでしょうか。
一般的に見れば、主人公は明らかに人間関係へたくそな面倒くさい人間ランキングトップ3に入る逸材です。
ですが、そうたらしめる過去が彼にはあったのです。
小さいころからぞんざいに扱われてきた記憶が、感情とともに記録されているのです。
だからこそ、人とかかわることを避け、一人でいることを望み、自分に対する周りの感情を悪意や敵意、嫌悪感といったわかりやすい感情で固めようとするような行動に出る。
いや、プラスの感情が不安定釣り合いであり、マイナスの感情が安定釣り合いであるというそれぞれの側面を見てきたからこそ、安定を求めてそういった行動に出ることができるといったことろでしょうか。
たとえ、結果的に自分が傷ついていたとしても。
そして、だからこそ理性の化け物、改め自意識の化け物なのですね。
もちろん、こういった行動原理を理解できない人もいるでしょう。
(私自身とても身に染みて理解できます。)
なら、理解できないなら、自分のデータにないからという理由で、その行動原理を否定ることができるでしょうか。
肯否が分かれると思います。
いろんな人がいるでしょうが、少なくとも私は、他人を否定することを否定しない。
それも一つの在り方だから。
それに、それを選択した人にだって過去がある。
きっと、誰しも等し並みに悩みを抱えている。
ただ、私はそういうことを考えてしまう。
だからこそこの作品に惹かれたんでしょうね。
なんたって面白いし☆
人の過去と、現在の人と人とのかかわりを、感情と心理の向き合い方を改めて考える機会になった気がします。
この年になって再度考えるとか、主人公よりもボッチ極めてんじゃないかと思うレベル。
ほかにも、得たことはいろいろありますが、小出しにしていこうと思います。
さようなら。