やはり俺の考察ブログはまちがっている。(アニメ・数学)

気の向くままに、気になる事の考察をしています。

とある上司の愚行録 「普通大先生」

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やっはろー

戻ってきました愚行録!

毎週金曜日は愚行録のつもりだったけど、毎週毎週2000字近く書けるようなネタないしね。まぁ、愚痴が少ないということはいいことだと思いつつ、久しぶりの愚行録をお楽しみください。

 

タイトルは

「普通大先生」

です。

 

前置き

 人間誰しもが自分の中では基準を持っているものですね。自分がある物事に関して基準を持っているということは、他人も同様に基準を持っているわけです。つまりは、「人にはヒトの乳酸菌」と同じです。(絶対違うし、勝手に使ってすいません)

 

そういえば、ビオフェルミンに出てる蒼井優氏と南海キャンディーズ山里亮太氏が結婚したみたいですね。驚きだ。。。

 

記者会見のときの山ちゃんはいつもと違っていて、ちょっと毒は吐くけれど蒼井優の隣で幸せ一杯って感じでしたね。おめでとうございます。

 閑話休題

人がそれぞれ持っている基準の話に戻すと、その基準は人によって異なるのは当たり前なんですよ。「これくらいならいいかな~」とか思っていても他人からすれば「そんなのダメに決まってるでしょ!」ってやついっぱいありますよね。

 

たぶん、そういうの多いなと感じているのが車の運転。最近は高齢ドライバーの事故が連日ニュースで放送されているので、なおのことみんながそれぞれの価値観で車の運転を考えているのだと思います。

 

例えば、車線変更で指示器を出さない人っていますよね。「周りに車がいないから出さないんだ」とか「はいれるスペースができてたから出さない」とか「指示器? なにそれおいしいの?」とか人によって様々な基準があるんですよね。

 

まぁ、個人的には変に理由を考えて毎回指示器を出す出さないやってる人は運転が下手なイメージありますけどね。ウインカー出すのってそんなに手間かね? 流れ作業でしょ? って思うんですよ。

 

さて、ということはこの段階で指示器を出す派の皆さんと私の考え方が違っているわけなんですよね。ブログで書いているみたいに一方的に発信していればもめる必要もないからいいんですが、日常生活で衝突するとそうはいかない。

 

指示器問題みたいに「指示器は出しましょう」って決まってますし、『合図不履行』って違反になるならわかりやすいですが、世の中明確に決められたものばかりではない。

 

そういうとき、自分と他人とで意見が分かれたときにやたら「普通さ~」とか言ってくるひといません? それが今回のタイトルにある「普通大先生」です。いや~前置き長いね。

 

本題

さて、皆さんは話している相手から「普通さ~わかるでしょ」って言われたらどう思いますかね。最後のはてなマークがよりイラっと感を掻き立てますがこらえておきましょう。

 

個人的には「( ゚Д゚)ハァ? 知るか」って心の中で思うんですよ。心の中だけかよ。そうでう、実際には言わないのです。

 

普通普通言っている人にとって普通、つまりみんながやっていることみんなが知っていることが基準なんですよ。自分が普通だと思っていることはみんながやっているしできるし知っている。だかたら、そんな人に向かって「何が普通なの? どこが普通なの?」とか食って掛かると普通じゃないレッテルを張られてしまうのです。

 

もちろん、どんなレッテルを張られようが気にしない人もいるでしょうが、相手が上司の場合はそうもいかないんですよね。

 

考察

なら、あらためて普通って何なのか「普通ってなんだ?」を考えていきましょう。なんかNHK番組のタイトルみたいだな。

 

例えば、私は最近絶叫マシーンに乗れるようになったのですが、これは普通ではありませんよね。お化け屋敷に入れるのも普通ではない。だから、遊園地とかに行くときには「絶叫マシーンとかお化け屋敷、ダイジョブ?」って会話が成り立つのですよ。

 

そう考えると、普通とは多数決に似ているような感じですね。正確には『普』=『あまねく』で広くという意味ですから、広く通っていることなのであながち遠からずですね。

 

つまり、何が言いたいかというと「これは、普通だな」と思うことに対しては、大多数の人が同じ回答をする必要があるということなんですよ。そういうことも考えないで自分が思ったこと考えたことがさも当たり前化のように「普通普通」連呼している奴らが腹立つ~原辰徳~。

 

おそらく、そういう普通大先生たちは自分が普通である、一般的であるという考えを持っているド厚かましい連中か、普通というみんなに属していないと不安な人たちか、周囲に自分の真っ当さをアピールしたい自己承認欲求の塊かといったところでしょうか。

 

いるんですよね~自分ができるからって「普通これくらいできるでしょ」って言ってくるやつ。球技が苦手な人もいるのよ! ボールの軌道とかわからない人もいるのよ! なんだよそれ、どこのアイドルだよ。まぁ、球技はともかく勉強とか仕事とか全般において大体こういう人はいる。

 

人それぞれ感じ方や考え方は違うわけですから、何でも間でも一律された基準があるというのは少し窮屈なものの見方な気がします。とくに「できる・できない」に関しては個人差が大きいですから、自分ができるからみんなできるではなく、できない人もいるよねとか知らなかったらできないよね、それなら今からやっていこう的な視点のほうが余裕を持てそうですね。

 

それに、普通の反対は特別ですね。普通席と特別席ってありますからね。何か意見が違ったら「普通じゃない」って思うより「特別な存在」って思って経過観察できるような大人になりたいですね。もうすでにいい年なんですが。。。

 

今回は、この辺で。

 

もちろんこの内容も普通ではないですからね。なんだ、特別な存在なんだ、自分。・・・自重します。

 

さようなら。